派遣
1994年の初頭、森下部長に呼ばれ、明治スポーツプラザ派遣の打診がありました。断りました。私はスポーツが苦手です、嫌ですと言ったら、最後は、起こって業務命令だ!と言われてしまいました。数日後、井出専務に呼ばれ、「断ったんだって、君はスポーツが苦手だそうだが、銀座のクラブで上手くいっているママは、酒が苦手な人が多いよ、スポーツが苦手なのはむしろ仕事にはプラスかもしれない」説得に応じました。
その頃にはますます業績が悪くなっていて、西原社長は60歳に定年を機に退任、新しく、健康事業部の石渡部長が社長に就任しました。すでに累損は2億を超えて家賃も払えない状況でした。
川崎店の企画と集客が私の仕事でした。井出専務にお願いしました。「1億円の資金と3人の部下と一年間の時間」をお願いしました。結果は、「7千万円、と2人の部下と半年間」でした。
まずはコンサルタント探しをしました。素人にはとても手に負える仕事ではないので、優秀なアドバイザーが必要でした。あちこちのコンサルに会いましたが、私の考えを否定する人は少なく、お金目当てを感じていました。ある日、フォレスタクリエーションの専務をやめて、コンサルをはじめたばかりの中島さんの事務所で話を聞きました。私のことをぼろかすにけなしました。小学生のレベルだ、失敗間違いなしとのご宣託でした。中島さんに決めました。石渡社長も同意してくれたので、契約を結びました。
5月のある日、第一生命ビルの一階に開業準備室を借りて、集客準備にとりかかりました。8月には、明治医薬営業部から木内さんと片桐さんが赴任してきました。二人とも20代の屈強な若者です。スポーツマンです。
集客大成功!
入会金3万円、月会費1万円で成功する。入会金2万円、月会費9千円なら大成功するという中島先生の意見にしたがい、大成功を収めました。しかし開業に至るまでの道は険しく思い出したくない事件がたくさん起こりました。当時「新しい酒は新しい裘に盛れ」とか言ってかっこつけていたのですが、集客が上手くいっても運営は素人集団で上手くいくはずがありませんでした。