1978年、百合ヶ丘での2ヶ月間の研修のあと、薬品水戸営業所に赴任、ここで桐原師に会えたことが、私のとって人生を変えたました、ラッキーでした。当時、桐原さんは40歳を超えたばかりでしたが、今の私、起業時62歳にして彼のレベルに到達していません。旧明治商事の組合の書記長にして、希代の戦略家です。4年間、彼の薫陶を受けたことで、私は一変しました。

担当客先は、茨城県県西部と県北部の開業医、中小病院でした。広大な広さで、毎日200キロは走っていました。担当ディーラーは潮田薬品の下館支店、古河支店、日立支店、ほかに東日本薬品、クラヤなどの現地営業所でした。

二年後、土浦駐在が新設され、そちらに移りました。ようやく営業に慣れて居場所ができました。

1983年、山梨の薬品甲府営業所に転勤、山梨医科大学の担当プロパーに抜擢されました。新設の医学部ということもあり、のびのびと楽しい仕事になりました。業績もまあまあでした。

1986年、明治製菓の将来を考える「ヤングプロポーザル」に最年少で選ばれ、明治製菓のエリートたちと接触することになりました。のち明治ホールディングスの松尾元社長、明治の下田元専務、石田元専務、meijiファルマの𠮷光寺元専務はそのメンバーです。熊本保健科学大学の木下理事長など、20名の内、半分が役員になりました。それ以後の重要な人脈、財産となりました。

セールス時代へ…