1920年(大正8年)4月27日、函館菓子製造株式会社はビスケット製造販売業として資本金捨万圓で高砂町に設立されました。代表取締役社長は杉村廣太郎氏でした。
一説によれば、函館で古くからパン製造を行っていた精養軒の出資であったとのことです。工場完成はその年の12月頃でしたが、品質に問題があり、月に10日程度の稼働でした。翌年春、ようやく生産も安定してきた矢先、1920年(大正9年)秋、工場が焼失しました。1921年(大
正10年)現在地、千代台(千代ヶ岱町五三番地)に再度、工場を建設しました。創業の苦しみを経て4年後、1925年(大正14年)に至り、ようやく経営の安定をみました。
創業期の苦難については「函館菓子月報」創刊号に記載されています。
当時のカタログに、「クリームハアモニイ」「動物ビスケット缶詰」など、ビスケット類として20
種類、「チヤイナマーブル」など、掛け物類(砂糖蜜のお菓子)として9種類が掲載されています。「道内の製菓史上にとって、機械的、かつ、大量生産でビスケットを製造した北海道初の工場である」と言われています。
1925年(大正14年)職工数は121名、(男42名、女79名)の大工場に発展しました。函館市史によれば、1931年(昭和6年)頃「東京以北で随一の優良」と言われる品質と規模を誇
り、相当のトップブランドであり、ビスケットを中心に多数の菓子を製造していました。